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この花なんのはな


この花なんのはな

芸術だ、ということになる。
たしかに、その限りにおいては、鉢植えは芸術である、といってもよいだろう。
少くとも、鉢に植えて、これを培い、花の咲くのや実の成るだけを楽しむ錐植物とは、あきらかに異なる領域のものなのである。
ー非芸術的な特質ーは鉢植えには芸術的要素がたしかにある。
しかし、たとえば、次のような笹張もある。
「芸術が独創性をもって成立するには、単に反社会的であるだけではなく、"自然弗をライバルとして、、薗然"を否定して、人工苗として見出すことである。
この芸術の反嵐然駒性格は反社会的性倍とともに、ひたすら内的感構裁現の強烈な進求によって、自然ではないもの、社会ではないものを実現しようとした。
中世芸術も、抽象芸術も、キュービズム、シュールリアリズムも同じ軌道を行くものである」。
勿論、これは鉢植え論として曹かれたものではないが、反臼然的性狢が芸術の属惟のひとつとして存在することは何人も否定できまい。
しかし、鉢植えの特性として、前鳳で撮摘したように取自然の手ざわり的を愛する願肉がある。
このへんの矛盾をどう考えたらよいのだろうか。
このことについて、私は、反自然的性播を芸術の属性、1つの傾向としてとらえていけばよい、と思う、そのような属性をもたない芸術もあり得るし、また、傾向の異なる芸術も存在していてさしつかえない。
鉢植えの芸術惟とは、あくまでも"薗然と人工のあいだ曲にある。
ところで、椴近、『鉢植えの祉会学』という待異な日本文化論を世に間うたは、鉢植えの芸術性について、いったい、どんな見解をしめされたであろうか。
先取りの木の実。
救荒のクリをひろう。
クリ臼栗)は、ブナ科に属する藩葉高木または低木です。
大きいものだと高さ25m.直径60pになるものもあります。
材質が堅固で、しかも水湿に強いことから、古くから家屋の恭礎材、鉄道の枕木などに利用されてきました。
また樹皮はクリ色の染用としても利用されてきましたが、何といっても私たちに身近なものは、秋の味党を代表する果実です。
早生種はすでに8月中旬から採取されるものもありますが、わが国では10月下旬が一般 的です。
クリは大別すると、日本グリ、中国グリ、ヨーロッパグリ、アメリカグリがあります。
わが国では野生の小粒のものを普通「シバグリ」あるいは「ササグリ」と呼んで、このシバグリの中から実の大きなものを選んで品種改良がされてきました。
しかし、品種名が確立したのはまだ歴吏が蔵く、昭和に入ってからのことです。
わが国で最も古い栽培の歴史を持つ「丹波グリ」は、銀寄という品種の系統がその主体を占めています。
中国産のものでは、「天津甘栗」の名で知られる河北省のアマグリが有名です。
愛らしい小粒の上に甘味が強く、渋皮も離れやすく、しかも焼くと香ばしいかおりがすることから広く大衆に食されてきました。
ただ、これがすべて輸入品に依っている理由は、この品種はクリタマバチと呼ぷ害虫に非常に弱く、目本での栽培が不可能なためです。
ヨーロッパの原産地はカフカス(コーカサス)西部といわれ、紀元前のローマ時代には8品種.が存在していたといわれます。
フランス、イタリア、スペインなどで盛んに栽培されていますが、フランスのお菓子「マロングラッセ」は特に有名です。

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