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この花なんのはな


この花なんのはな

こ拠に対して、鉢植えの芸術的意義を探求する目的であらわしたと,の言説のほうが具体俊をもっている。
趣味の対象とはいえ、鉢植えを論理的に解明されようとしたのであろうか。
「これを要するに、製代、生ける芸術としての鉢植えは、最初よりかのいわゆる植物美を賞翫するのみの目的になれる鉢樋物とは全然別種の目駒を有するものであって、いわゆる大自然の心を薇トに写すことを以てその目的とするのである。
(中略)しかして、吾人の芸術的の研究とその現花の実力は、たしかに或る程度まで、尺余を肌でざる、しかも同一種類 にあらざる維裡の樹木に於て、実際の数千隼の老大樹が具備せる諸種の外面的特徴を、数倍または数卜僻も高度にこれを表現せしむることによって、その実物の大きさ及びその時代に於いて比鞍にならざる大差違を有せる大自然の或るものに接すると同様の気分を味うことに成功しつつあることを確信せるものである。
その表現はなかなか論埋的である。
次のようになるだろう。
鉢植えは、その素材にくらべては比較にならないほど、樹齢や大きさの興なる自然の大樹の姿を就Lに表現し、しかも、その実物以ヒの深い感銘を観者にあた、足る。
つまリ、鋒植物のようにたんなる素材だけのあた・疋る美しさに絡っていない。
素材をこえ、しかも、素材の幾現しようとした実物以Eのものをもっているからこそ、鉢植えは芸術なのである。
素材をこえた表現に鉢植えの芸術惟を見出したのは、卓見であった、と私は思う。
素材が素材だけに終ってしまったら、芸術でないことは改めていうまでもない真躍で、それが咋、ム術である以ヒ、素材をこえた表現をもたねばならない。
主張をまとめてみると、鉢植えには作薯あ」審美感が働い天おり、しかも、素材をこえた表現がみとめられる。
<落葉広葉樹類V11落葉広葉樹類の魅力は四季を通じて楽しめることでしょう。
新芽の柔らかな緑、黄紅葉のあざやかさ、そして寒樹。
こうした変化を考慮して、和薬ものが多く用いられます。
ではどんな色調のものが合うでしょナか。
まず、葉の色と重なるので緑系統は避けます。
自交畦、瑠璃租、鈎窯、黄租などの中から樹種に合うものを選ぶとよいでしょう。
けれど、不思議なもので、古木になると泥ものが似合うようになります。
<花実もの・実もの類V11言うまでもなくその樹の花や実を引き立てる色調の鉢を選ばなければいけません。
たとえば、蒜い実つきの梅もどきには、くすんだ色調似自交駐か、明るい色調の瑠璃和などが美しいでしょう。
無理に反対色を、と考えず、同色でなくその実や花が引き立つ色調は何かを考えるとよいでしょう。
しかし、落葉広葉樹類と同様、花実もの実もの類も古木になると泥ものの方が美しく調和するようになります。
では最後に、繕や胴との調和について触れておきましょう。
これらは、いわば附属的な要素ですが、一応は知っておきたいものです。

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