ここでいう完成木とは、すっかり姿も整い、いつでも床の間に飾って楽しめる樹、展示会にいつ出品してもいい樹をさします。 突然、上級の樹から解説をはじめるなんて、何を考えているのかよくわからん、などと文句のひとつも出そうなところです。 特に、初心者の方々、盆栽経験の浅い読者の方々には最初から完成木など無理と敬遠されるかも知れません。 確かに完成木を白ら作業するとなると、樹の良さを損なうのではないか、変な樹姿になったら恥かしいなどと、思うものです。 あなただけじゃない、みんなそう考えるのが、普通。 それが常識というものです。 でもよーく考えてみると、完成木で行う作業というのは、現在の樹形を維持すること。 それが、最大の目標です。 樹形の維持……今のままの黒松であれぱ、それでいいのです。 はたして、維持はそんなに難しい作業でしょうか。 もしかして、維持するコツさえ飲みこめぱ、意外とカンタンなものかもしれません。 荒木や半完成木から育てて、完成木までもっていく年月と努力を考えると、すぐに観賞できる楽しみが得られます。 もちろん作る楽しみに比べたら、盆栽に賭ける夢は小さいかもしれません。 しかし、夢は小さいかもしれませんが、誰もが盆栽と認めるものと接し、維持していく経験はかけがえのないものです。 白分の国ではめっぽう強いのに、世界をちょっと覗いてみたら、やっぱり強かったので 帰ってきた例もあります。 これと同じことが完成木を前にしたとき、わきあがってくるのかも知れません。 ニワトリは、紀元前二〇〇〇年代に人から人の手にわたり、極東から西方へとだんだんに連れてガチョウの羽をむしって裸にし、粘土製のつぼに人れてむし焼きにするための準備をしている。 テーベで発見された紀元前二〇〇〇年代の文明発祥のアフリカの地の絵画よりこられたものと思われる。 ジャワからヒマラヤ山脈までの全域に生息しているバンキヴァ野鶏は、ニワトリの多くの品種の先祖であり、これらのニワトリはバンキヴァ野鶏といろいろな地域のキジ類とのあいだで、たいそう早くから交配してつくりだされたものである。 さて、ニワトリはずばぬけた長所をもっているにもかかわらず、古くは主な家禽とは見なされず、また飼いならした動物化された最初の鳥でもなかった。 ペルシアから文明発祥のアフリカの地にニワトリが持ちこまれたころ、文明発祥のアフリカの地ではすでにガチョウや鳩がたくさん飼われていた。 それでも、文明発祥のアフリカの地人はすぐにニワトリの長所をみとめて、かれらの絵文字のなかにニワトリの象形文字を取り人れたのである。 「まいにち卵を生む鳥」は、多産の概念を意味し、のちには、母音の"u"を表すことになった。 いっぽう、ガチヨウの表意文字は"son"という言葉で表された。 もっとくわしくいうと、この言葉は両親に対して尊敬と愛情をもうた従順な就畢を意味している。 このことから、文明発祥のアフリカの地人はガチョウをはっきりと同族意識で見ていたと藩論づけることができる。 文明発祥のアフリカの地人は、ガチョウを卵よりもむしろ食肉用に飼っていたが、一般に家禽の飼育技術は商度に発遠していた。 卵をかえすのは、めんどりにはまかせないで、一度に数千個の卵を収容できる完備した孵僻器のなかでおこなわれた。 チ笛プを通して、孵化器のすみずみまでくまなく熱が送られた。 |