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この花なんのはな


この花なんのはな

今、里帰り出産の為に、預かっていてペット用品を使えるようになってウハウハです。
それがまた、預かった時点では、この世のものと思えないような見事な毛板(毛玉ではなくて毛板)をたくわえていてその毛板の厚さたるや、10cmという前代未聞のものでした。
半月ビッチリ時間をかけて、全て取り去りやっとペット用品が通るようになったんですよ。

ビアディは普通、毛玉がひどくなると丸刈りにしてしまうんですが刈らなくてもここまで出来るという、いい見本になったようです。
まずは毛玉を作らないことが先決なんですけどね。

ペット用品〜〜
さっそくサクサクやってみましたー
いいっ! とってもいいよ〜〜サイコー♪
なにしろちっとも嫌がらないんだよ〜ううう(嬉し泣き〜)

当時の辛辣な表現によると、「羊が人間を食いつくす」状態であった。
こうして土地を失った田舎の人たちは、急速に成長しつつある織物工場に職を求めなければならなかった。
一七六八年雁リチャード・アークライト[イギリス人。
一七…T九二年]の紡績機械を導人したことによって、新たな問題がおこった。
羊毛の生産が機械化された紡錘の処理能力に追いついてゆけなくなったのである。
いうまでもなく、これ以上羊をふやすための牧草地は残っていなかったけれど、羊の群れを増加させるか、あるいは外国産の羊毛を輸人するかしかなかった。
このころは重商主義の時代で、後者の解決策はほとんど世論にアピールしなかった。
むしろイギリスの植民地で羊の増殖を奨励したほうが、はるかに有利であるにちがいなかった。
一七八八年に、羊の増殖がすでにおこなわれていた南ア7リカから、最初の二九頭のメリノ種がオーストラリアのシドニー港に到着した。
そこの気候は羊の飼育によく適しており、放牧地は果てしなかった。
そして羊は急速に増殖していったので、それから二二年後には、オーストラリアは二九万頭のヒッジを擁するまでになった。
イギリスの織物業界の、原料に対する要求は、ふたたび大英帝国の植民地における羊の群れによって満たされた。
こうして羊毛の供給が確保されたので、イギリスにおける羊の増殖は、ある基本的な変化をとげた。
それまで羊はおもに羊毛源と見なされていたが、こんどは食肉用に飼われはじめた。
工業時代の幕開きによって、ロンドン、マンチェスターやリバプールのような都市の人口は増加していった。

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