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絵日記


絵日記のこえ

自然の摂取と濯水。
植物は菖然環境の中にあっては、この水分供給の大部分を降雨に藤存しております。
そして樹木を舎む多くの髄物は、乾燥に強いもの、湛水や湿度に強いものなどいろいろな性質をもつものがあり、それぞれの環墳を選んで繁 栄しております。
水に対する環境とは、降雨の多少、排水の輿盃などが中心になワますが日照や姻風、霧の発生や空気の乾燥度なども水と切り離せない環境の一つといえます。
つまり私が身近にある一つの山を眺めるとき、それが狭い範囲の場合、雨最は変わらないのに、山頂附近では松がよく育ち、中腹では落葉樹が、谷に近いところでは杉がよく育つ例などをみるとき、それは降雨そのものよりも、他の環境がその種をしてその地に繁栄させる条件を作り出しているものといえます。
このようなことをあえて申し述ぺるのは、私達が水の必要度の異なる樹木を鉢にとり一つの棚に並ぺるとき、一つ一つの鉢に対して潅水度を変えるよりも、刷Lの保排水惟や日照・通風などの環境を、それぞれの樹種に合うよう焚化をもたせることの方が、より容易でありかつ有効適切ではないかということからです。
もちろん労力整情など管理条件に題まれていて、それぞれの鉢に合う潅水ができればそれは理想かもしれませんが、大半の愛好者はそれぞれの本業をもっており、鉢植えと起居を共にできない条件ドでは理思は望み得ませんので、満点の潅水を求めて失敗するよりも、確実性を望む方がより現実的ではないかと恩います。
また、潅水については、昔からいろいろなことがいわれておりますが、それらの中には当を得たものもあれば誤っているものもあり、気にかかるものもあれぱ、ぜひ分析して考えてみたいものもあります。
そこで潅水の前幾として、それらの中からいくつかを取り上げてみたいと思います。
仮に中芽切りを行なうのであれば、もう1年待つ必要があ12、作の萩態についての判断ミスがこうした結果を招いたようです。
「待つ」ことの重要性、さらには中芽切りと秋芽切り各々の特徴を見定めての適用が大切なのです。
赤松という地名 中国自動車道を西宮から吉川へ向う所に「赤松」というサービスエリアがある。
とりたてて大きなものではなく、車の出入りもさほどない。
その西南に赤松峠という標高わずか蹴mの峠があり、この近辺で地名らしきものといえぱその赤松しかなく、サービスエリアを作る際に名を拝借したのだろう。
山の中でしょう。
赤松峠、江戸時代に記された、摂陽群談によれば『有馬郡三国の西にあり。
俗伝円心古戦場に因れり。
自是播磨国毘沙門堂村へ出る所なワ』とある。
言い伝えでは円心という人物がここで戦ったために赤松という名がついたということらしい。
円心と聞いて赤松(1277〜1350)の名前が思い浮かぶ人は相当な日本史通であろう。
鎌倉時代、播磨国から地元の土豪達を糾合して立ち上がワ、足利尊氏を助けて建武新政に功があった。
その働きがあって、以降赤松家は足利幕府の重鎮としての地歩を固めていく。
室町時代史を通して良きにつけ悪しきにつけ、赤松某という人名隊綴繁に登場する。
この赤松峠以外にも兵庫県には赤松と名のついた場所がいくつかある。
.川西茄にも赤松の大字が残り、神戸市灘区にも赤松町という名の所がある。
いずれも筋記の赤松家に由来する。
川西市大字赤松は赤松峠と同じく俗伝円心が滞在した地とされ、灘区赤松町の方は、一王山十善」寺が誤って赤松城跡と信じら札たことによる。
本物の赤松城はやはり赤松円心が建武3年に白旗山頂に建てた城郭でしょう。

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