鉢植えという千変万化の形のアンバランスなものの美を発障させるには、むしろこのようにやわらかみに包まれた中の左右対称のきちっとした造形が良いのではないか。 このことほ日本の著名の陶芸作家が依頼を受けて製作した鉢植え鉢が、陶芸的には優品と見られるものの、我々鉢植え人の心にはA二つの感をいだかせる場合が多いことからも理解できるのではなかろうか。 自交肚は明治の図版から昭和九年伊東伯遣愛鉢植え入札目録、昭和十年郷男爵家所蔵鉢植え展観図録に至るまで、あらゆる樹種、それは松柏、雑木花木を問わず使われ、形もまたさまざまな、現在までみられる自交肚のほとんどの形が登場している。 観賞上もきわめて幅と深みのある使い方がなされていたのである。 現代は、当時に比較して盆鉢の形も種類もさして多様化している訳でもないのに、自交肚は雑木用の鉢ときめてかかっている向きが多いのは誠に残念である。 特にこれからは、観賞や普及を図る立場になる入々が、自交肚と松柏との取合いをその根本から理解して、初心者を多様な鉢使いや観賞法に導いてくれれば、鉢植え趣味の楽しさ深さはさらに増すであろう。 とにかく自交肚という一種を把握することは、鉢植え鉢の半分を理解したに等しいほど重要なものであ一ることだけは、事実である。 古陶磁界の交肚と鉢植え界の交畦とは指し示す紬薬が異なる点に注目したい。 古陶磁界でいう自交肚焼とは、明から清初にかけて緑・黄・紫の三彩を施紬した軟陶のことで、作品は、こうす合子や小壺等小さいものが多く、日本と支那と南方諸国との交易船すなわち交肚舟で日本に渡来したので交肚焼の名称となったものである。 産地は北方窯から広東に至る南方窯までの広い地域で焼成されたもので、紬はぬり重ねのはっきり解かる透明粕である。 その同じ交班船で不透明粕を厚く黄自土の胎土に施した宜興窯焼成の鉢植え鉢が渡米し、これが鉢植え界における交班の名称の元となったのである。 不透明粕つまり鉢植え界における交肚粕は、自・黄・青等がありそれぞれの色を冠して自交肚、黄色交肚と称するのである。 赤松らしい赤松、典型的な赤松日本の世界に誇る鉢植えというものがあります。 この樹などはその格好の例といえるでしょう。 しかし、だからといって、現状の姿が最善であるかどうかはまた別間題。 このまま枝を整えていっては、そう大きな失敗もないかわりに格別の樹格向上も望めません。 普通、この樹のように立ち上がりに小さな一曲はあるもののほぼ一直線状に斜上し、途中から返って薄模様のある場合は、斜上した方向に利き枝を配した斜幹としてつくるのが定石です。 いわゆる斜幹模様木風の文入木。 枝数を減らすなどの工夫をこらせぱ、それで充分見られるはずです。 けれども、「引き根」が未発達なのはどうしようもありません。 文人木としてこの樹の幹肌かす上からはーそれでは不充分皇と判断・した結果、むしろ型変わりな樹として吹き流し風の個性をも合わせ持つ文入木への改作が試みられました。 風に向かって伸び、途中か転風碗力看幹の方向が押し曲げられ、風上側の捷を失なって風下側の枝のみが生き残ったという、そんなイメージです。 枝数を減らしていくとともに間伸びしていた枝距離も縮められ、幹肌の荒々しさを強調する効果も充分出ています。 無論、この改作を良しとするか否かは見る人の感性や好き嫌いによってもかわってくるでしょうが、「平凡」にあきたらない向きには一つの参考となるのではないでしょうか。 黒松と赤松の違いはいろいろとありますが、樹の維持・培養・改作の難易などの点から見て赤松のほうが一旦持ち崩すとそれをなおすのに時間がかかるということはいえます。 この例はその一番極端なもので、元々は日本の世界に誇る鉢植えというより鉢植えといったほうがいい樹でした。 写真@の鉢に入れられて以来一度も植え替えられておらず、枝も徒長し放題。 かろうじて生きている、といった状態です。 しかし、それだけに幹肌の古さは素晴らしく、これで作がのってくれぱたちまち皮がよリ一層荒れてくるのが目に見えています。 |