銘款は時代・産地・作者の判別のいずれにも欠かせない要点である。 古陶磁の世界に」おいて自色の器といえぱ、問題なく自磁であろうが、鉢植え界においては自交蹴に尽きる。 あのとろっとした黄味がかった乳自色の軸は、どんな慰物にもどんな蹄り場所にも、調和してしまう不思議な魅力を持っている。 自交蹴は支郡の器物でありながら、日本人の感性にぴったりくる阿かを昔も今も持ち統けているのである。 支郡の陶磁と日本の、あるいは季朝の陶磁とを論じる時、誰もが必ずあげるのは次のことである。 支郡の陶磁器の這形慇覚は、徹底して完全主義を目ざしていることである。 陶磁という土を厩料としながら、その完成されたものは、玉をも越えるものを這ろうとする。 そして丸いものは丸く、、四角いものは四角く左右対称に、見事なまでに這形されたものをよしとするのである。 このため一工程を負う工人は縄の代から子の代まで、その工程だけに携わる工人となり、「つの器物に多くの工入の工稜が加わって、一つの完暎されたものが倖出されるのである。 責磁を作れば、そのもっとも完成された色謁に卓雨過天晴4と老づける明膵さ、明るさが最大の特色である。 日本の陶磁の芙の原点はこの。 美を。 味わい4と書葉を簪える摘塞惟にある。 今NHKで放映中の,独眼竜政{示'の小田原出障の景にも百騎の供と共に茶道具を持参する話が出 てくるが、中同から伝来した焼杓に、さらに季朝のものも加わり、日本題慶の発展を馳るが、そのよしとする美の原点は、当時の茶の湯の宗組たちの陶器に対する観賞観であろう。 「ごみ投棄場」に棲んでいる魚どしたら、殆どが「ハヤ」で、他には稀であるが「フナ」「コイ」「ウナギ」くらいは少ないが棲んでいる可能性はある。 だから、棲んでいる魚の映像をだすなら良いが、可能性の全くない魚の映像を出したのは、公害強調のためとは言え、「白然保護団体」の良識が疑われる。 植林は何のためにする。 はっきり日時は覚えていないが、約2年ほど前、別の「白然保護団体」が、山に緑を増やす目的のため、植林計画をテレビで放映したことがあった。 計画は「正に科学的にものを検討する」と賛美した。 こうしたことには関心が深い方だから、すーと見ていたら、その後がいけない。 未だ山の新緑が芽ぶいていなかったから、時期は3月か、遅くも4月上旬 だったと思う。 場所は丹沢山の頂上とはいかないまでも、かなり高い屋根とも言うべき所だった。 山の木は寒樹の姿を欲しいままに、見るからに寒風(乾風)の吹きすさぷ様をしていた。 「自然保護団体」の皆さんが、骨を折り山の頂きに持ち上げ、精魂込めて植樹している苗は、テレビだから容易に確認出来たが、紛れもなく「楠(くす)」だった。 「楠」は公害にも強く、広葉樹の特徴として、水の保全にも役立ちこの点は、正に好ましい樹種でしょう。 唯一遺憾なことは、あの樹種は冬の寒風(乾風)に弱い樹種であることでしょう。 |