ボンサイが人間や動物と根本的に違うところは、「顔」がないことです。 顔がないということは、前後の区別が分からないことになります。 言い換えれば、ボンサイの正面は作者の都合によって決められることになりますが、これは正解ではありません。 ボンサイにも裏になる部分と、表になる部分が立派にあるのです。 ポイントは根元の立ち上がりにあります。 その最大の理由は「ボンサイの途中から上の部分は、技巧によっていかようにも変えられるが、根元だけはどんな技巧を使っても変えられない」ためです口たとえば強力なテコや太い針金を使えば、相当太い幹でも矯正できますが、根元だけはテコも針金も効きません。 根張りも変えられませんが、発根しやすいものは水苔を巻いたり、深く樋えたりすればある程度は矯正できます。 発根し難いものは「根接ぎ」をして根張りをよくするわけです。 では、ボンサイの正面を決めるにはなにを基準にするのか、について解説します。 写真でご覧のように、ボンサイの素材や種木の根元には真っ直ぐなものや、曲がったもの、出っ張ったもの、シャクレたものなど、さまざまな形があります。 このなかから正面と褒面を決めることになりますが、ポイントになるのは次の言葉です。 「ボンサイも人間も礼節をわきまえた形が好ましく、美しい」。 反肘に「ふんぞり返った態度は、人間も鉢植えも醜く、反感をもたれる」。 たとえば初対面の者同士が挨拶するとき、相手に威圧感を争えたり、微慢な態度をとれば誰からも嫌われます。 あまりに懲惣にされるのも困りますが、少し前かがみになって挨拶されれば、よい感じになります。 これを蔽樹に応用すれはよいのです。 少し具体的にいうと、ボンサイの根元から立ち上がりにかけて、少しだけ内側にシャクレた感じのところが、よい正面の基本となります。 反対に出っ張ったところを正面にしてしまうと、見るたびに抗議されているようで、不愉快になります。 根元から幹の上まで曲がったものは,出っ張りのないところを正面として幹の曲がりを楽しむのです。 「きんかぞういん」は、「渡辺敬三氏」の所で(おそらく先代か先々代と思う)焼いたもので、金華造印としてあるため、容易に読みやすいが、「せんしりんせい」の方は、「松下益久」(同様先先代と思う)の所の窯(和泉窯)で焼いたもので、「せんし」は銭子と書くが、子の字は『印黎文字(いんてんもじ)』では、一見して号のように見えることから、多くの人が「銭号」と間違って呼んでいる。 「せんしりん」の「りん」という字は、「落款」で見る限り、「塵」のように見えるが、正確な字は知らない。 O般にこれらの鉢は、当時支那に鉢を注文したとき、同じ落款の印を2つ作り、1つを本当の「支那鉢」に押し、もうーつを自家の窯で焼いたものに押したという説があるが、定かではない。 しかし、完全な「支那鉢」と、似ている和製の鉢とに、全く同じような「落款」があることは班実でしょう。 そして、これら「支那鉢」を真似た「和製の鉢」も、良く出来ているため、これらの鉢を、大正時代に舘滑で造られた鉢「大正常(たいしょうとこ)」と呼び、時代ののったものは席く評価されている。 これらの鉢は、形など外見は、「支那鉢」と非常に似ているが、(土目(つちめ))が違うので、慣れれぱすぐ見分けがつく。 なお「大正常」は、今あげた2つの窯元の作品以外にもある。 高妙山と呼ばれるもので、昔、文部大臣をした頼母木氏が、大宮に窯を造って焼かしたもので、数は限定され残っているものは少ないが、渋い味を持っており、大正常と似ところがある。 この当時は、支那より導入した土を使って焼いた鉢や、支那で修行して帰った「陶工師」が焼いた鉾などがあり、(柿泥など)時おり見かけたことがあったが、現在では全く見ることはない。 |